翻訳と辞書
Words near each other
・ ギセニ
・ ギセニィ州
・ ギセニイ
・ ギセニ県
・ ギセルモ・ガルシア=ロペス
・ ギゼ
・ ギゼッラ
・ ギゼム・ギュレシェン
・ ギゼラ・ウーレン
・ ギゼラ・ビルケマイヤー
ギゼルベルト (ロートリンゲン公)
・ ギゼー
・ ギゾ
・ ギゾー
・ ギゾ島
・ ギタウ・ダニエル
・ ギタギタンガ
・ ギタドラ
・ ギタドラ!
・ ギタフリ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ギゼルベルト (ロートリンゲン公) : ミニ英和和英辞書
ギゼルベルト (ロートリンゲン公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ギゼルベルト (ロートリンゲン公) : ウィキペディア日本語版
ギゼルベルト (ロートリンゲン公)[こう]
ロートリンゲン公ギゼルベルト(Giselbert von Lothringen, 890年頃 - 939年10月2日)は、ロートリンゲン大公(在位:925/928年 - 939年)。ロートリンゲン貴族レニエ家のレニエ1世の子。
911年に東フランク王ルートヴィヒ4世が死去した後、ロートリンゲンでは東西フランク両派に分かれ対立が起こり、父レニエ1世は親西フランク派リーダーとして東フランク派と戦った。その結果、西フランク派が勝利し、ロートリンゲンは西フランク王シャルル3世のものとなった。920年に、レニエ1世の跡を継いだギゼルベルトはシャルル3世より独立し、ロートリンゲン王を称した。しかし、ギゼルベルトはシャルル3世に敗北し、東フランク王ハインリヒ1世のもとに逃げ込んだ。東西フランク王は921年11月のボン条約において互いの領土を確認し休戦を約したが、その後西フランク王シャルル3世はパリ伯ロベールと対立、923年にはロベールの娘婿ブルゴーニュ公ラウールにより廃位された。ギゼルベルトは当初は西フランク王となったラウールを支持していたものの、ラウールからの圧力を受けて、再び東フランク王ハインリヒ1世のもとへ走った。ハインリヒ1世は925年(または928年)に正式にギゼルベルトをロートリンゲン大公とし、928年には自らの娘ゲルベルガをギゼルベルトと結婚させた。これにより、ロートリンゲンは東フランク王国(ドイツ王国)の領土となることが確定した。934年にはハインリヒ1世によりフランケン大公エーバーハルトや司教らとともに西フランク王ラウールのもとに派遣されている〔Leyser, p.13.〕。
936年のハインリヒ1世の死後、オットー1世が東フランク王位を継いだが、938年にはオットー1世の弟ハインリヒが反乱を起こし、ギゼルベルトはフランケン大公エーバーハルトとともにハインリヒ側に加わり、西フランク王ルイ4世に援助を求めた。939年10月2日、ギゼルベルトらがアンデルナハのライン河畔で宴会を開いているところを、オットー1世は急襲し、ギゼルベルトは溺死した〔瀬原、p.77〕。ロートリンゲン大公位は、同年のうちにオットー1世に降伏したオットーの弟ハインリヒが得ることとなった。
== 子女 ==
928年に東フランク王ハインリヒ1世の娘ゲルベルガと結婚した。
* ハインリヒ
* ジュルベルジュ(935年頃 - 978年) - ヴェルマンドワ伯アルベール1世と結婚。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ギゼルベルト (ロートリンゲン公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.